ヴェーダーンタのサットサンガに行ってきました。
 
浮世を離れ、どっぷりとインド哲学にひたる1日は、何よりの喜びです。
久しぶりにバガヴァット・ギーター第2章を復習しましたが、以前は薄かった部分の輪郭がはっきりしてきて、同じ章とは思えないほどでした。
聖典の勉強も継続が大事ですね。
定期的に聖典をシャワーのように浴びつづけることです。
教えと一つになる日が来ると信じて♡
サットでチットでサットヴァな1日でした。
 
 

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サットヴァ♡今月のサットサンガ

精神的な癒やしやスピリチュアルなものを求める人が増えています。

それだけ多くのストレスや悩みがある、ということでしょうか。

 

この世で成功するため、

より豊かになるため、

悩みを解決し、幸せになるため、

どう考え、行動したらいいか、

というハウツーであふれています。

多くの人々が知りたいのは、

このような悩み解決法、ハウツー・指南です。

 

この世は、不平等、そして理不尽なものですから、

豊かになりたい、

悩みを解決したい、

得をしたい、

と願うのは人として自然なことです。

 

ですが、

これは輪廻転生のサイクルの中で

ジタバタしているようなもので、

根本的な解決からますます遠ざかっています。

 

私がここで根拠にしているのは古代インドの聖典です。

現代の一般的な価値観とは相容れないのは百も承知で^^;)

わかりづらくてすみません。

ヴェーダーンタの見解も入れていますが、

この三次元の世界の価値観とかけ離れており、

本来は、祈りとともに、グルの導きで学ぶものであり、

スピリチュアル(霊性)の学びです。

例えば、ヴェーダーンタのサットサンガ(勉強会)で、

テキストに使っているのは千数百年前に書かれたものですが、

素晴らしい導きの書で(シュリ・シャンカラ・アチャルヤの解説)

これ以上の参考文献はないと思います。

 

長々と書いてしまいましたが、

今日の結論です。

どうしたらこの悩みが解決できるか、

どうしたら幸せになれるか、

といったものを解決するのがハウツーもの、指南書です。

今すぐ実際の役に立つのが指南書の存在価値なので、

そこに、永遠性、普遍性はありません。

社会の変化に合わせ、どんどん内容が変わっていきます。

そこが普遍性が命である聖典との見分け方かと思います。

例えば、明治時代の女性の悩みを解決するハウツー本を

今読んで役に立つでしょうか?

 

こういったことと関係しないのが聖典です。

人間社会の変化の影響を全く受けませんし、

聖典が直接何かを解決することはありません。

人間世界の次元に引き下げることができない、

というか、引き下げる意味がありません。

それが聖典の存在価値だと思います。

コロコロと変化する人の心(と社会)と、

何千年と変わらぬままの聖典。

両方が存在していることが素晴らしいと思います。

 

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聖典の存在価値

ヨーガセラピーの養成講座でも使っている

古代インドのヨーガ聖典である「ヨーガ・スートラ」。

聖者パタンジャリによって何千年も前に編纂されたものが

21世紀にもテキストとして使われている・・・

なんて素晴らしいことでしょう(^^)

改めて、聖典のもつ普遍性に感動します。

 

さて、このヨーガ・スートラ第1章第2節には

ヨーガとは、その結論がズバリと書かれています。

「ヨーガハチッタブリッティスニローダハ」

チッタに相当する日本語がないので、これに近い感じは、

「ヨーガとは、心の働き・動きを止めることである。」

 

私はたまたまご縁があって、

こういった学問としてのヨーガ、

真理探求のためのヨーガをやってきました。

ヨーガのアーサナ(体操)も職業としてやっていますが、

学問のヨーガと、体操は切り離して考えています。

世の中で、ヨーガは柔軟体操、美容体操だと思われていて

常々残念に思っております。

 

さて、「ヨーガスートラ」2節以降は、詳細な説明です。

 

私たちは、常に肉体の五感(視覚、聴覚など)を使って、

他者との関わりの中で生きています。

これら五感は、生きていくために必要な感覚で、

これで判断し、これに頼って生きているとも言えます。

目に見えるもの、

耳から入るもの、

これらの情報量は膨大です(^_^)/~、

特にインターネット好きな人は

情報の海の中で溺れている・・のかも^^;)

 

これらの膨大な情報量は、言ってみればすべて「刺激」です。

私たちは、

毎日ひっきりなしに入ってくる刺激の中で生きています。

刺激には、心地よいものもあれば

悲しみや苦しみの種になるものもあります。

自分にとって都合の良い刺激=心地よい刺激であり、

イヤな思い、つらい経験は悩み・苦しみのもとになります。

 

いい刺激も、悪い刺激も、元をたどれば同じものです。

そして、それらは、言ってみれば

心という湖に投げ込まれる異物・・・

そして、これに対する反応として、

湖面にはさざ波が起きます。

 

結論から言いますと、

これらは、全て幻です。

錯覚に基づくものに過ぎません。

(これは、ヨーガ派でない解釈になると思いますが。)

湖にはさざ波がたっては消え、

またさざ波がたち・・・

外からの刺激はキリがなく、

心もまた、キリなく反応します。

ブロックしようと思っても

リセットしようと思っても

うまくはいきません。

それは所詮ムリなこと。

私たちが生きている限り、心がある限り、

さざ波がたつことは仕方がありません。

なぜならば、

これが心の持つ宿命だからです。

 

ヨーガはチッタの動きを止めることだ、

・・・と聖典には簡単に書いてありますが、

そう簡単にはいかないので、

細かく修行段階(ヨーガ八支則)がある訳ですね。

 

心の動きを直接止めるのは至難の業です。

 

ただ、心に間接的に関わること、

例えば、心の特徴を知ることはできます。

私は、個人的に「心を詳しく知る、その動きを見る」

ことがとても大切だと思います。

日常的にも、生きるのが楽になるのではないでしょうか。

「ヨーガ」とは、そんな意味合いで、

キリのないさざ波と静かに向き合うことだ、

と知ること、でしょうか・・・

 
 
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心を知る 聖典「ヨーガ・スートラ」