心を知る 聖典「ヨーガ・スートラ」

ヨーガセラピーの養成講座でも使っている

古代インドのヨーガ聖典である「ヨーガ・スートラ」。

聖者パタンジャリによって何千年も前に編纂されたものが

21世紀にもテキストとして使われている・・・

なんて素晴らしいことでしょう(^^)

改めて、聖典のもつ普遍性に感動します。

 

さて、このヨーガ・スートラ第1章第2節には

ヨーガとは、その結論がズバリと書かれています。

「ヨーガハチッタブリッティスニローダハ」

チッタに相当する日本語がないので、これに近い感じは、

「ヨーガとは、心の働き・動きを止めることである。」

 

私はたまたまご縁があって、

こういった学問としてのヨーガ、

真理探求のためのヨーガをやってきました。

ヨーガのアーサナ(体操)も職業としてやっていますが、

学問のヨーガと、体操は切り離して考えています。

世の中で、ヨーガは柔軟体操、美容体操だと思われていて

常々残念に思っております。

 

さて、「ヨーガスートラ」2節以降は、詳細な説明です。

 

私たちは、常に肉体の五感(視覚、聴覚など)を使って、

他者との関わりの中で生きています。

これら五感は、生きていくために必要な感覚で、

これで判断し、これに頼って生きているとも言えます。

目に見えるもの、

耳から入るもの、

これらの情報量は膨大です(^_^)/~、

特にインターネット好きな人は

情報の海の中で溺れている・・のかも^^;)

 

これらの膨大な情報量は、言ってみればすべて「刺激」です。

私たちは、

毎日ひっきりなしに入ってくる刺激の中で生きています。

刺激には、心地よいものもあれば

悲しみや苦しみの種になるものもあります。

自分にとって都合の良い刺激=心地よい刺激であり、

イヤな思い、つらい経験は悩み・苦しみのもとになります。

 

いい刺激も、悪い刺激も、元をたどれば同じものです。

そして、それらは、言ってみれば

心という湖に投げ込まれる異物・・・

そして、これに対する反応として、

湖面にはさざ波が起きます。

 

結論から言いますと、

これらは、全て幻です。

錯覚に基づくものに過ぎません。

(これは、ヨーガ派でない解釈になると思いますが。)

湖にはさざ波がたっては消え、

またさざ波がたち・・・

外からの刺激はキリがなく、

心もまた、キリなく反応します。

ブロックしようと思っても

リセットしようと思っても

うまくはいきません。

それは所詮ムリなこと。

私たちが生きている限り、心がある限り、

さざ波がたつことは仕方がありません。

なぜならば、

これが心の持つ宿命だからです。

 

ヨーガはチッタの動きを止めることだ、

・・・と聖典には簡単に書いてありますが、

そう簡単にはいかないので、

細かく修行段階(ヨーガ八支則)がある訳ですね。

 

心の動きを直接止めるのは至難の業です。

 

ただ、心に間接的に関わること、

例えば、心の特徴を知ることはできます。

私は、個人的に「心を詳しく知る、その動きを見る」

ことがとても大切だと思います。

日常的にも、生きるのが楽になるのではないでしょうか。

「ヨーガ」とは、そんな意味合いで、

キリのないさざ波と静かに向き合うことだ、

と知ること、でしょうか・・・

 
 
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