聖典の存在価値

精神的な癒やしやスピリチュアルなものを求める人が増えています。

それだけ多くのストレスや悩みがある、ということでしょうか。

 

この世で成功するため、

より豊かになるため、

悩みを解決し、幸せになるため、

どう考え、行動したらいいか、

というハウツーであふれています。

多くの人々が知りたいのは、

このような悩み解決法、ハウツー・指南です。

 

この世は、不平等、そして理不尽なものですから、

豊かになりたい、

悩みを解決したい、

得をしたい、

と願うのは人として自然なことです。

 

ですが、

これは輪廻転生のサイクルの中で

ジタバタしているようなもので、

根本的な解決からますます遠ざかっています。

 

私がここで根拠にしているのは古代インドの聖典です。

現代の一般的な価値観とは相容れないのは百も承知で^^;)

わかりづらくてすみません。

ヴェーダーンタの見解も入れていますが、

この三次元の世界の価値観とかけ離れており、

本来は、祈りとともに、グルの導きで学ぶものであり、

スピリチュアル(霊性)の学びです。

例えば、ヴェーダーンタのサットサンガ(勉強会)で、

テキストに使っているのは千数百年前に書かれたものですが、

素晴らしい導きの書で(シュリ・シャンカラ・アチャルヤの解説)

これ以上の参考文献はないと思います。

 

長々と書いてしまいましたが、

今日の結論です。

どうしたらこの悩みが解決できるか、

どうしたら幸せになれるか、

といったものを解決するのがハウツーもの、指南書です。

今すぐ実際の役に立つのが指南書の存在価値なので、

そこに、永遠性、普遍性はありません。

社会の変化に合わせ、どんどん内容が変わっていきます。

そこが普遍性が命である聖典との見分け方かと思います。

例えば、明治時代の女性の悩みを解決するハウツー本を

今読んで役に立つでしょうか?

 

こういったことと関係しないのが聖典です。

人間社会の変化の影響を全く受けませんし、

聖典が直接何かを解決することはありません。

人間世界の次元に引き下げることができない、

というか、引き下げる意味がありません。

それが聖典の存在価値だと思います。

コロコロと変化する人の心(と社会)と、

何千年と変わらぬままの聖典。

両方が存在していることが素晴らしいと思います。

 

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